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[2011-11-30]
[2011-11-10]
ふだん窮屈な場所で暮らしているからだろうか、私たちは広々とした草原が大好きだ。やすらぎ感や優しさ、なつかしさ。そう感じるのはきっと草原が、人がかかわってできた自然だからかもしれない。
「にほんの里100選」のフットパスを歩くシリーズで10月初旬、阿蘇の大草原を歩いた。「こんな風景が日本にあるなんて」。参加者のほとんどは阿蘇が初めて。その大きさにびっくり。でもこの大草原、じつは維持するのはとてもたいへんなことなのだ。
■減り続ける「野草地」
阿蘇の草原は平安時代から続く「千年の大草原」だ。野焼き、放牧、採草など人の営みによって維持されてきた。
草原を所有するのはほとんどが市町村だが、実際の管理は入会「牧野」として各地区の牧野組合が担ってきた。環境省・九州管理事務所の資料(2009年)によると08年現在、牧野組合の数は169あり、牧野の総面積は約2万2千如そのうち、ススキなどの「野草地」は約1万5千如∋弔蠅漏依菲卅陲魄蕕討襦嵜郵草地」やスギなどの「樹林地」だ。
阿蘇の草原といえば基本的には「野草地」をさす。しかし面積は減り続けている。畜産業の低迷で放牧をやめてしまったり、過疎と高齢化で人手が足らず野焼きができなくなったりしているからだ。
■草地もいろいろ
歩いたのは2カ所。草原は一様ではなく、いろんな野草地が混じりあっていた。
ひとつ目の草原は阿蘇山頂の火口付近から阿蘇駅に向かう下りのコース。上の方にはススキ草地が広がっていた。牛もいないしススキを刈る人の姿もない。かつては放牧もされていたのだろうか。今は春の野焼きだけで保たれている草地のようだ。
里に近づくと背の高い草がまだらに残る野草地が目立ってくる。放牧地だ。牛が食べないツクシアザミが花を咲かせ、チカラシバの群落もできている。大型機械を使った採草も行われていた。
ふたつ目は押戸石山という丘陵状の山。北外輪山西部の草原で、採草がさかんに行われていた。草刈り跡があちこちにあり、白いシートで巻かれた草ロールが草原に点々と転がっていた。この付近、夏にはユウスゲが咲きほこるという。キノコ原木用と思われるクヌギやカシワの木立も目立っていた。
野草地の多様さを作り出しているのは多様な人の働きかけだ。採草や放牧、そしてそれと組み合わせて行われる野焼き。野草地が多様であれば多様な植物が生育し、チョウなど生きものの種類も多様さを増す。
■草原特区
毎年、春の彼岸ごろに行われる野焼き。阿蘇の大草原を維持するための大切な作業だが、そのための労力は膨大である。燃やす面積もさることながら、「輪地切り」と呼ばれる防火帯づくりが地元の大きな負担になっている。防火帯の総延長は約600繊樹林地沿いに10辰らいの幅で草を刈る必要がある。
そこで支援が始まった。野焼きと輪地切り支援ボランティア活動だ。今回のツアーで企画段階からお世話になった公益財団法人・阿蘇グリーン・ストックが取り組んでいる。毎年延べ2000人のボランティアが、5千任量郛討と150舛發領愧論擇蟶邏箸鬚靴討い襪箸いΑ0ち匹料雜彊飮に欠かせない存在になっている。
新しい動きもある。あか牛を新たに1頭導入する農家に6万円を助成する事業が9月から始まった。阿蘇草原再生協議会の基金によるもので、「草原を維持するには畜産業の振興が大事」という考えからだ。また現在、「草原特区」の適用を国に申請中とのこと。規制が緩和されて野焼きがやりやすくなり、税制の優遇で草原再生のための募金活動が進むことなどが期待されている。
明治・大正期に全国土面積の10%もあったという草原。それが現在1〜2%に激減してしまった。草原復活の取り組みが各地で始まっているが、阿蘇はその先進地。なぜ草原を再生するのか、そんな草原再生の意味や思想も含めて学ぶことの多い日本一の大草原だ。(海老沢)
=写真は中央火口丘の北斜面、GP12月号から転載
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