「上附馬牛・大出」のある岩手県遠野市が朝日新聞「訪ねる」欄(2017年9月21日夕刊)に紹介されました。ぜひ、お出かけください。
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木々に囲まれた小川のそばで、麦わら帽子の男性がくれた名刺には「カッパ淵の守(まぶ)り人(っと) 二代目カッパおじさん」とあった。運萬(うんまん)治男さん、68歳。まぶりっととは「番をする人」という方言だ。
「春、夏の方がカッパは出やすいな。木の葉の散る頃には、山奥の滝つぼ深くに修行に行く。修行も仕事。カッパもうちらと同じ貧乏人だで」
運萬さんは続ける。我が子には今の貧しい暮らしから抜け出して欲しい。そう願って民衆が語ったのが遠野の民話だ。カッパも座敷わらしもオシラサマも、背後には貧しさと人間の命を巡る悲しい実話があった。それらを忘れず、供養するために語り継ぐ。子どもは大人になって、本当の意味を知ればいい、と。
絶え間なく聞こえる風と水の音。その中にかすかだが、カッパの気配が感じられた。
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岩手県遠野市にある、このカッパ淵の東約4キロの山口集落に生まれた作家志望の青年、佐々木喜善(きぜん)は、地元の伝承に詳しい大人たちの間で育った。彼が「民俗学の祖」と呼ばれる柳田国男に出会い、語ったことで1910年、「遠野物語」は世に出た。
10分ほど歩き、伝承園へ。オシラ堂には、馬と娘をかたどった人形に鮮やかな布を着せた神「オシラサマ」がまつられている。昔、娘が馬を愛し、夫婦になったことで、怒りに駆られた父親が馬を殺した。悲しんだ娘は馬とともに天へ昇り去る。伝説はオシラ信仰とともに受け継がれた。
午前11時すぎ。いろりを囲む人々が立花和子さん(70)の語る「オシラサマ」を聞いていた。「馬さえいねば、いかべと思ったが、娘まで連いてかれるとは思わねがった。許してけろ」と悔やむ父親。やがて親たちの将来を案じた娘が夢枕に現れ、「とどっこ(蚕)」という虫を春に授けるから、虫の繭から糸を取って布を織るようにと告げる。オシラサマは養蚕の神でもあるのだ。
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午後2時すぎ、バスで縁結びの祠(ほこら)、卯子酉(うねどり)様へ。赤い布がひしめく神秘的な場所だ。オシラ堂では「四十肩が治るように」。ここでは「良い取材との出会い」を願った。
1.5キロほど足早に歩いて中心街の「とおの物語の館」に着く。午後3時に「遠野昔話語り部の会」菊池玉会長(83)、「遠野ふるさと観光ガイドの会」細越澤史子会長(76)と待ち合わせていた。
「卯子酉様は自分が夫婦になりたい相手と来て、赤い布にお互いの名前さ書いて来ねば駄目だ」とあきれられた。
菊池さんが由来を語り始める。「昔、祠の近くに住んでた娘に沼の主が惚れたって。正体のわかんないままでは一緒になれないって、ヘビに姿を変えて会いに行ったども、父親に『何だ、こんなちっちゃいヘビ』って殺されてしまったんだと」。細越澤さんが解説を加える。「沼の主の結ばれない恋を思って、利き手と反対の、結びにくい手で布を結ぶわけ」。なるほど。
語り部になって四半世紀の菊池さんだが、不安もある。「遠野でさえ、我が子は都会で働いて欲しいと、農業の大切さを教えようとしない大人がいる。ボタンが取れただけで服もすぐ捨てる。こんなで昔話の『意味』まで語れる人、それを知りたいと思う人、この先もいるべか?と」
遠野には他にも様々な史跡がある。老人たちが最期の日々を過ごした「デンデラ野」。子宝を願う男根を模したご神体「コンセイサマ」。生から死まで、人の営みが可視化された土地なのだ。柳田は「これを語りて平地人を戦慄(せんりつ)せしめよ」と記した。襲ってくる戦慄の正体が知りたくて、何度でも訪れたくなる。
◇伝承園(電話0198・62・8655)は遠野駅からレンタサイクルで約5キロ、片道25分。「あえりあ遠野」からはタクシーで2000円以内だった。伝承園を13時37分に出るバスに乗り、終点の営業所で14時10分ごろ下車。さらに数分歩くと道の向かいに卯子酉様がある。五百羅漢はクマ出没の危険も考慮し、複数人で。
■【おすすめ】寺のこま犬も、頭にお皿
曹洞宗の寺院、常堅寺の近くに住んでいた「初代カッパおじさん」の故・阿部与市さんは幼い頃、カッパ淵で「実物」を目撃したという。「先代が10年以上前に寺のお墓のあたりに引っ越した」ため、今は二代目の運萬治男さんが、本人に代わってその逸話を来訪者に語り伝えている。
寺ではその昔、火事が起きたが、火は消し止められ、カッパ淵との間に小さな足跡が残っていた。カッパが皿の水で消してくれたのか。感謝の念から頭にくぼみのある「カッパこま犬」が境内に作られた。「皿に水がなく乾いていると火事が起きやすい」など、防火の目安でもあった。
こま犬は、閻魔(えんま)様たちをまつった「十王堂」を守る。死後に生前の善行と悪行が計られることを示唆するお堂だ。