1000年の草原 守り生かす
標高約1500m の今なお噴煙を上げる阿蘇中岳の山頂火口から、阿蘇の町や農地が広がる標高500m 程度のカルデラ盆地の阿蘇谷に向かって、草の道を歩いた。山頂近くの緩やかな斜面は見渡す限りのススキの原。草を刈る人も草をはむ牛も見えない。ただただススキの穂だけが揺れている。
720 年に完成した日本書紀に「野は広く人家なし」とあり、阿蘇草原の歴史は1000 年の昔にさかのぼる。平安時代には馬を育てる牧があり、肥料や飼料を得る採草地として利用された。屋根を葺(ふ)くための茅野(かやの)もあった。
草原にはリンドウ、ワレモコウ、ホソバノヤマハハコ、そして地名を冠したアソノコギリソウなど草原性の花があちこちに咲いていた。このときは出合えなかったけれど、サクラソウの群落やヒゴタイなど、阿蘇には古くて広い草原ならではの貴重な花の多様性が保たれている。
放牧地の草地は背が低く、ツクシアザミなど牛が食べない植物がまだらに残るのが特徴だ。黒牛に交じって特産のあか牛がゆったりと草をはんでいる。
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阿蘇の草原は、野焼き、放牧、採草によって守られてきた。その作業量は膨大だ。特に野焼きには大勢の人手が要る。県の資料によると、「野草地」と呼ばれる草原は約1 万6000ha、必要な防火帯だけでも総延長は500km 以上におよぶ。高齢化が進み草の利用が縮小し、地元だけでは草原の維持は難しい。
そんな苦境を救おうとボランティアによる作業支援が始まった。「輪地切り」と呼ばれる防火帯づくりと野焼きに毎年延べ2000 人のボランティアが参加する。エネルギーなど草の新しい利用や、あか牛を増やそうという県を挙げての取り組みも続いている。
阿蘇は2013 年、草原を守り生かした持続する農業システムが評価され、「世界農業遺産」に認定された。未来への確かな一歩になってほしい。
(グリーンパワー2014年10月号から転載)