東アジアの渡り鳥の交差点 / ラムサール条約登録を目指す
福岡市の中心部からほんの30分ほどの場所に、全国でも珍しい自然の渚(なぎさ)の干潟が残っている。博多湾の最奥、玄界灘との境界をつくる砂州「海の中道」の、付け根あたりに広がる和白干潟(わじろひがた)だ。広さ約80㌶。シベリアから日本列島を通り東南アジアやオーストラリアに向かうルートや、中国大陸から朝鮮半島を通り九州北部を通るルートなど、水鳥の渡りの交差点になっている。春・秋は、シギ・チドリ類の中継地になり、冬場はカモ類、カモメ類、カイツブリ類が越冬する。20年以上にわたり干潟の保全を訴えてきた近隣住民を中心にした市民団体「和白干潟を守る会」の資料によれば、シギ類なら、オオソリハシシギ、チュウシャクシギ、キョウジョシギ、ダイシャクシギ、ハマシギ、ミユビシギなどが見られる。カモ類は、淡水ガモのマガモ、ヒドリガモ、オナガガモ、ツクシガモ、海ガモではスズガモ、ホシハジロ、ホオジロガモ、さらにカンムリカイツブリも。カモメ類はウミネコ、ユリカモメ、ズグロカモメ等々。二枚貝を食べるミヤコドリや、カラシラサギ、クロツラヘラサギ、コアジサシ、ホウロクシギなど希少な水鳥も飛来するという。
干潟を埋めるカニや巻き貝
干潟は和白地区から奈多(なた)、雁ノ巣(がんのす)方面へ広がる。和白地区の渚には、ヨシが生え、ハママツナ、ハマシオンといった塩分のある土地を好む植物が生育し、陸側にクロマツの林が広がる。その先は、すぐに住宅地で、そこに「守る会」の山本廣子会長の自宅があり、会の事務所が置かれている。8月20 日の夕方、山本さんと会員の人々の、「環境省モニタリングサイト1000 シギ・チドリ類調査(秋期)」に同行させてもらった。軽自動車に望遠鏡を積み込み、和白から雁ノ巣まで干潟をぐるりと回る調査に向かう。切り絵作家である山本さんは、この地で生まれ、東京で絵の勉強をした7年間を除いて、地元で暮らしてきた。
海辺に車を止めて、望遠鏡の三脚を立て、干潟を観察する。沖合にカワウの群れが浮かんでいる。ミサゴが1羽、ブイに羽を休めている。アオサギやダイサギが餌をついばむ。干潟に流れ込む和白川の河口の砂地には、たくさんのハクセンシオマネキが、大きなハサミを振って踊っている。気温が高すぎるせいか、目的のシギ・チドリ類は、なかなか見つからない。ようやく、ヨシの根元にイソシギが1羽。干潟に降りると、小型の巻き貝、ウミニナとホソウミニナが入り交じって一面に広がり、足の踏み場もないほど。生き物の濃度の高さを感じさせる。
車で移動して、観察を続ける。奈多地区の海辺に回ると、博多湾を挟んでかなたに福岡市の中心部が見え、目の前には市が埋め立てを進めている人工島が広がる。夕立雲が見る間に福岡市側から移動してきて、激しい雷雨が襲ってくる。海岸の岩陰をキアシシギが3羽とチュウシャクシギが1羽、雨に打たれて歩いている。車の中で30分ほど雨を避け、日差しが回復した雁ノ巣の浜に降りる。ここでは、コメツキガニなど無数のカニが巣穴を出入りしている。潮が引いた跡に、アオサが目につく。「ここ数日で増えたみたいです」と、会員の一人。キアシシギが1羽、ミサゴが2羽。「シギ・チドリ類は、来るときは群れで来ます。会いたいんですけどね」と、山本さんらは残念そうだ。
目前に港湾計画の人工島
「和白干潟を守る会」はこの夏、福岡市長宛てに、「和白干潟のラムサール条約登録についての要望書」を提出した。2003年以来4度目の提案や要望書となる。登録の前提として国に鳥獣保護区の「特別保護地区」指定を求めることと、市民にラムサール条約への理解を深めてもらうことで、湿地を守るための登録を実現しようとするものだ。
「守る会」の20年の歩みを振り返った『未来につなごう 和白干潟』によれば、干潟は食料不足の戦後、「福岡の人々の命を救った生命の宝庫」という。沿岸に広い砂浜と松原があり、春から夏にかけては多くの人々が、潮干狩りでアサリ、ハマグリ、マテガイ、アカガイなどを持ち帰った。クルマエビも捕れたし、冬場はイイダコやノリが食卓に上がった。山本さんは、体も心も、自分をつくったのは「和白の海と干潟」と言ってはばからない。
福岡市の博多港港湾計画により、干潟を含む博多湾東部埋め立て計画が発表されたのは、1978年。ふるさとの山や田畑がどんどん開発されるのを見ていて、干潟だけは残してほしいと思った山本さんは、1988年「守る会」を起こし、地元の人々や日本野鳥の会福岡支部などと連携し、保全運動を開始する。干潟の清掃、水質調査、自然観察会、イベント……。定期的に行われる地元からの発信活動もあって、埋め立ては免れたが、代わりに干潟の沖合401㌶を埋め立てて人工島を造る計画が立てられた。1994年から工事が始まった人工島は、事業目的や環境保全をめぐってさまざまな議論を引き起こしたが、現在も埋め立てが続いている一部区画を残し、干潟の目前に、すでにその姿を現している。その一方で2003年には、干潟と前面海域254㌶が国の「鳥獣保護区」に指定された。干潟の保全に向けて、十分ではないが一歩前進ではあった。
個体数減ったシギ・チドリ類
環境省モニタリングサイト1000調査では、博多湾東部海域でのシギ・チドリ類の最大個体数は、01年春の約5000羽から、08年には約1100羽に減っている。秋期は00年の約2200羽から、08年の約350羽に。冬期は00年の約4300羽から08年の約1500羽に。この減少の原因は、一概には言えないだろうが、人工島建設による海流の変化や停滞による富栄養化、アオサの大量発生とヘドロ化などが干潟の底質を悪化させ、渡り鳥の餌となる底生動物に影響しているのではないかと、山本さんらは考えている。「多くの生物がいて、博多湾の海水を浄化し、稚魚や稚貝が育ち、子どもたちが体験して学ぶ干潟は、ラムサール条約登録湿地としての基準を満たしていると思います。クロツラヘラサギなどの絶滅危惧種を支える湿地です。ウルグアイで3年後に開かれるラムサール条約COP12での登録を目指し、この秋から署名活動を始めます」とのことだ。
(グリーンパワー2012年10月号から転載)