海を見下ろす 石垣の段畑
宇和海を見下ろす岬の40 度ほどの急傾斜地に、石垣造りの段々畑が60 段。高さは80m。遊子水荷浦(ゆすみずがうら)の「奇跡の景観」だ。
石垣が地形図の等高線に沿って曲線を描く。畑の幅は1m ほど。細い畑は、端の方に来ると幅30cm に満たない。
段々畑を地元では「段畑(だんばた)」と呼ぶ。おこりは江戸時代の終わり。沿岸部は稲作に適さず、傾斜地に段畑を開墾し、サツマイモを栽培した。明治10(1877)年頃までに水荷浦の斜面のほとんどが開墾され、畑は8900 枚に達した。
石垣造りとなるのは、明治末から大正にかけて。養蚕業が盛んになり、段畑の石垣化や家屋の改修が進んだ。
しかし昭和初期には養蚕景気も終わり、再びサツマイモ栽培に。働き盛りの男たちはイワシ漁へ出るようになり、畑仕事は女性とお年寄りが主体となった。
戦後は食糧難でサツマイモを増産。でんぷん、酒用アルコール原料として「切干(きりぼし)」が高く売れた。その後、サツマイモが暴落。代わってジャガイモ栽培が盛んに。しかしジャガイモも生産過剰で暴落。1960 年代になると、真珠やハマチ養殖に地場産業の重点が移った。
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その結果、段畑の多くが耕作されず、雑木雑草の野山に戻った。最盛期30haほどあった耕作段畑が、平成(1989 ~)に入ると、約2ha にまで縮小。「段畑の景観を守ろう」という機運が高まり、2000 年に地元有志が「段畑を守ろう会」を立ち上げた。07 年、文化庁の「重要文化的景観」に指定された。現在、耕作段畑は5ha ほどまでに回復。同会が段畑産ジャガイモを原料に開発した焼酎「段酌(だんしゃく)」が人気商品になった。
段畑を守ろう会理事の松田鎮昭さん(70)は「後継者難が課題だが、『だんだん』(ありがとうを意味する方言)をキーワードに、地域の人の励みになる活動を続け、若い世代を呼び込んでいきたい」と話した。
(グリーンパワー2015年6月号から転載)