農と環境の自然回復を土台に / コウノトリの野生復帰を実現
目の前の空を、国の特別天然記念物・コウノトリが飛んでいる。白い胴体に黒い風切羽(かざきりばね)。目の周りと脚が赤く、羽を広げると2㍍近いという堂々たる体軀(たいく)。刈り入れの終わった田んぼに降りて、餌を捕るもの。高さ12㍍近い人工巣塔の上に止まり、周囲を警戒するもの。1971年に、国内生まれの野生のコウノトリがいなくなってから40年余。再び野に戻ったコウノトリは、驚くほど人里近くに暮らしていた。
野外に75羽が生きる
コウノトリの郷公園の公開ケージに群れるコウノトリ
兵庫県豊岡市の中心部から、車で10分程度。緩やかな里山に囲まれ、円山川(まるやまがわ)やその支流の穏やかな川が流れる祥雲寺地区に、県立コウノトリの郷公園(郷公園)がある。85年、コウノトリ飼育場(現・郷公園附属コウノトリ保護増殖センター)が、ロシア(旧ソ連)から6羽を譲渡され、コウノトリの野生復帰計画を推進してきた。89年に初めて繁殖に成功。その後飼育個体は100羽を超えるようになり、2003年に策定した「コウノトリ野生復帰推進計画」に基づき、05年から試験放鳥を始めた。放鳥を続ける中で、07年、国内で46年ぶりに野外で繁殖。今では、野外を75羽が飛び回り、保護増殖センターで98 羽が飼育されている。
野外に出たコウノトリは、豊岡市周辺だけでなく、遠く鹿児島県南さつま市、宮崎県延岡市、広島県庄原市、高知県高知市、神戸市、愛知県額田郡など、各地から目撃情報が寄せられている。野外の個体数を増加させる巣立ちが、年平均5・4羽。一方、死亡数は年平均2・0羽なので、野外の個体数は徐々に増えている。野生復帰の第1段階は、峠を越したともいえる。
10月中旬には、年に1度の特別公開デーがあり、普段は近づけない繁殖ケージのある「コウノトリ野生化ゾーン」などを見学できた。飼育員が園内を案内する「特別観察ガイドウォーク」には、老若男女20人弱が参加。コウノトリが、鳴き声の代わりにくちばしを鳴らす「クラッタリング」の音や、ドジョウやカエルなど肉食性の餌を1日に「体重の1割も食べる」といった説明に驚いていた。
人との共生が不可欠
郷公園の非公開ゾーンに向かう「特別観察ガイドウォーク」の参加者たち
コウノトリ野生復帰の直接の目的は、この国の本来の生物の在り方を取り戻すこと、特に近年まで生息していた地域の生態系の健全性を取り戻すことだ。世界的には人の住まない広大な地域で鳥類の野生復帰が行われたことはあるが、コウノトリの場合、水田などを主な餌場にするため、人との共生が不可欠。そのため、県が11年に作成した「コウノトリ野生復帰グランドデザイン」にも、「野生復帰が単に自然科学の課題にとどまらず、地域住民の意識改革・価値観の転換が求められ、さらには経済効果を伴う河川・水田・里山の効果的な土木事業や新たな起業が必要」とされている。地域の人々に、精神的にだけでなく経済的にも共生を受け入れてもらうことなしに、野生復帰は成り立たないことを意味している。
祥雲寺地区に郷公園設置の話が起きたのは、1992年。コウノトリの郷営農組合長の稲葉哲郎さんは、「当時の農法ではとても受け入れはできなかった」という。野生コウノトリの絶滅には、農薬の影響があったといわれているが、当時の農法はまだ除草剤を一斉散布するような状態だった。「決していいことではないと自分たち自身思っていた」という集落の23戸は、約2年間話し合いを続け、拠点施設の受け入れを決断した。「コウノトリとともに暮らせる環境を創ることは、そこに住む人間が素晴らしい自然環境を取り戻すことになる。結果として生産された農産物は人間の生命を守る食の安全・安心につながる」。それから、コウノトリと共生するために農地の整備や減農薬で行う米作りの研究が始まった。有志により「コウノトリのすむ郷づくり研究会」「郷づくり報告書」の活動が進み、99年に郷公園がオープン、2002年には集落全戸加入で「コウノトリの郷営農組合」が設立された。
専門家を交えた農法の改善で、03年には無農薬・無化学肥料栽培に挑戦。秋の稲刈りの時、コンバインの前を跳びかうカエルの多さに、びっくりしたという。04年には水田の冬季湛水(たんすい)を始めた。米ぬかを散布し耕運して水を張る。春に水を落とした時、土とは感触の違う微生物による「トロトロ層」ができているのに驚かされた。苦労してきた除草にも、農薬の使用を控えて雑草を抑える技術のめどがついた。
人家に近い人工巣塔に止まるコウノトリ
環境保全と稲作が両立
今では地域の農法は「コウノトリ育む農法」として早期湛水、米ぬかペレット散布、深水管理、中干し延期などを柱に規格化され、豊岡から但馬一帯に広がりつつある。そこで生産された米は、「コウノトリ育むお米」として、JAたじまも協力し経費に見合った値段で取引され、各地からの需要が供給を上回る状態が続いている。「コウノトリや生き物が1年中生息できる環境の保全と米づくりが両立するようになった。穏やかな気持ちで暮らしてゆける環境ができた」と稲葉さんは振り返る。まだ改善の余地があるとはいえ、自然環境の回復と経済が両立する1例が、ここに実現した。
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朝日新聞社と森林文化協会が「にほんの里100選」を選定してから約5年。高齢化と過疎化の荒波は、相変わらず地域を洗っている。高齢化率50㌫前後が当たり前の状況は、国を挙げて地域から都市へ人を集める方向に進んできた結果だ。その仕上げのように環太平洋経済連携協定(TPP)交渉で、農産物の関税がまな板に載せられている。規模の拡大が叫ばれ、減反廃止の声も上がる農業政策の変化は、さらなる里の変化を強いるだろう。各地で、地域を生き延びさせるため、さまざまな人々が、あらゆる努力をしている。時代の変化を乗り越えられるかどうか。希望も絶望も、その努力の行方にかかっている。(最終回)
(グリーンパワー2013年12月号から転載)