浜中町(はまなかちょう)北海道

湿原守り営む農漁業

海岸部の漁村と、それに続く霧多布湿原の後背地に農村風景が広がる。町民主体で湿原を保全し、「ノーレジ袋運動」の先駆けに。

  • 交通:中標津空港から車で120分/JR根室本線茶内駅から車で10分
  • 特産:昆布、ウニ、ホタテ
  • 食事:厚岸味覚ターミナルコンキリエ 0153-52-4139
  • 直売:小松牧場0153-62-2749 浜中チ−ズ工房0153-68-6360 大友チーズ工房0153-65-2431
  • 宿問い合わせ:浜中町観光協会 0153-62-2111
  • 関連ウェブサイト:浜中町観光協会

※ 交通アクセスや店舗情報などは、お出かけ前にご確認ください。

※ 車ナビは、里を訪れる際の目標ポイントを数値化したマップコードで、()内が施設名や地点です。地図では★で示しました。カーナビのマップコード検索で利用できます。

2014年06月05日

ガイド にほんの里100選6 グリーンパワー2014年6月号から

湿原を育む 昆布漁と酪農の町
 
 早朝、競うように漁場に向かった船が特産の昆布を積んで、次々に戻ってくる。浜辺に家々が連なり、庭先などでは家族総出の昆布干し作業。そんな漁村の風景が道路をはさんで一変する。海から内陸へ視線を転じると、広大な霧多布湿原が横たわる。東西9㎞、南北3~4㎞。北端の小高い丘の先は森林や牧場が続き、全国有数の酪農地帯となる。

昆布干し作業が見られる沿岸部。建物の向こうに霧多布湿原が広がる


 
 南端の漁村側から、湿原の木道を少しだけ歩いたことがある。高山植物のクロユリといとも簡単に出合い、国の特別天然記念物タンチョウが親子で餌をついばむ姿を見ることもできた。初めて訪れた人は「人の暮らしのこんなに近くで・・・」と眼を見張る。
 
 湿原は面積3168ha。国内3番目の広さだが、大きさより「花の湿原」として知られる。春から夏にかけて約300 種の植物が湿原を彩る。4月、春を告げるフクジュソウが顔を出す。5~6月にはエゾエンゴサク、ユキワリコザクラなどが続く。やがて、白い穂のワタスゲが一面を覆う。短い夏は、オレンジ色のエゾカンゾウが大群落をなし、ヒオウギアヤメなどで百花繚乱の様相だ。

霧多布湿原では野鳥観察も楽しめる。ふいにタンチョウと出くわすことも


 
▲  ▲  ▲
 
 タンチョウが繁殖するなど、水鳥にとって重要な生息地である霧多布湿原は1993年、ラムサール条約に登録された。条約は湿地の「賢明な利用(ワイズユース)」を提唱し、そこに暮らす人々の生業や生活とのバランスのとれた保全を重視する。霧多布の自然や生態系と、すぐ隣りにある漁業や酪農業。登録当時、海外の視察者は「これほどのワイズユースはない」と驚いたという。
 
 ここに至る保全の流れは1922年に遡る。この年、国が800ha を天然記念物「霧多布泥炭形成植物群落」に指定。80 年代には地元住民らがトラスト運動を始めた。運動はやがて全国的な共感を呼び、認定NPO法人・霧多布湿原ナショナルトラストが今も湿原内の民有地買い上げを続けている。
 
(グリーンパワー2014年6月号から転載)

2012年10月29日

ルポ にほんの里100選③ 藤原勇彦 グリーンパワー2011年3月号から

 

冬の「むらたび」で伝統行事に活気 / 雪に負けず子供たちの笑顔弾ける

 

「おんべ」では、こんな小さな子も朝早くから頑張る

 1月9日午前3時、空には、くっきりと冬の星座がまたたいている。長野県の最北端、栄村の箕作(みづくり)集落。今年の雪は、このあたりにしては少なめで、まだ1・5㍍ぐらいしか積もっていない。でも、気温は間違いなく氷点下。凍てついた氷の道をパリパリと踏み割って、集落の高みにあるお寺の門前に、子供たちが集まってきた。総勢20人ほど。上は中学生から、下は父親に手をひかれた2歳になるかならないぐらいの幼児まで、全員が男の子。集落の伝統行事、道陸神(どうろ

くじん)の口切り、「おんべ」がこれから始まるのだ。

  

家々を巡る「おんべ」の行列

 

 道陸神は、一般的には「どんど焼き」と呼ばれ、しめ縄やお飾りを燃やす子供の祭りだ。本来は1月15日の小正月に行われるが、このごろは、学校が休みになる成人の日があてられることが多い。「おんべ」とは、正確には先端に神様の顔を描き、短冊に切った白い和紙を房のようにしばりつけた長さ1㍍前後のクルミの白木の棒のこと。これを子供たちが1本ずつ持って、各戸を巡る。家の門口で「だせ、だせ、だせ、だせ」と掛け声を張り上げながら、「おんべ」で梁(はり)や壁、土間をつつく。家の中の災いのもとをすべて外に出せという意味だという。

 50軒弱の集落を順々に回って歩く途中、とある1軒で「嫁つつき」が行われた。この1年で嫁を迎えた家の新婦が、布団をかぶって「お

去年集落にやってきた「新婦」に祝いの「嫁つつき」

んべ」で背中をつつかれる。新郎は外で、大人たちに胴上げされ雪の中に放り出される。「婿投(むこな)げ」だ。新しい住人を清め、この地に居ついて、丈夫な赤ちゃんが生まれるようにと祈りをこめる。

  

村の「ええとこ探し」から

 

 「今年のおんべは子供が多くて、にぎやかでよかった。でも、本当は、ここの集落の子供は数人だけなんだ」。集落の長老がやや複雑な胸の内を語る。高齢化と過疎化。人口2300人余の栄村も例外ではあり得ず、このところ毎年平均40人近く人口が減少し続ける。児童や園児も減っている。今年は、適齢の男の子が少なくて、「おんべ」ができるかどうかすら、危ぶまれた。そこへ助っ人でやってきたのが、地域起こしのNPO栄

道陸神では縁起物のミカンやお菓子がふるまわれる

村ネットワークが仕掛けている「むらたび」の参加者だった。

 「むらたび」は数年前、村の40代、50代の10数名が、箕作の公民館に集まったのがきっかけで生まれた。「観光で地域活性化といっても、俺たち自身村のことをあまり知らないのじゃないか」。仕事と地域の共同作業に追われるこの世代は、普段は足元を見つめる時間的余裕があまりない。そこで意識的に始めたのが、村の「ええとこ探し」。栄村ネットワーク理事で京都精華大学の松尾真さんを中心に、月に1回、朝から弁当を持って集まり、軽トラで村内を回る。山間の棚田に落ちる夕日の美しさ。水源から集落へ巧緻に築かれた灌漑(かんがい)水路。埋もれていた古道・志久見街道の整備。新たな観光の材料探しは、同時に、村の暮らしの見直しだった。たまたま栄村が「にほんの里100選」に選ばれた時期とも重なり、何十年も見慣れてきた景色や生活習慣をベースに、自分たちで手づくりする「むらたび」観光が始まる。

 古道を歩きながら山菜を採る春の旅。ブナ林や棚田の散策と川での水遊びは夏の楽しみ。秋は地元の人だけが知っている紅葉スポットへ。村人が、農作業や仕事の合間を縫って、ガイドに出る。少しずつ、さまざまな「つて」でやってきた都会の人々が、栄村の暮らしに感動して帰ってゆく。

 そして、冬。昭和20年に7㍍85の積雪を記録した栄村。12月から、遅い時は春の連休前まで、分厚い積雪に埋もれる。一晩にメートル単位で積もる雪、屋根の雪下ろし、早朝の道路で轟音を響かせる除雪車、飯山線の車窓から見る雪景色……雪の下で、ただ息をひそめるのではなく、これらを「資源」として積極的に活用できないか。

  

外とのつながりから将来を▪ 

 

 冬の「むらたび」こそ、栄村のこれからにつながる。そう松尾さんが考えているとき、箕作集落から、「おんべ」に参加する男の子の助っ人を、というSOSが聞こえてきた。地域の祭りの一部を、外部に開放しようという英断だ。「これは、目玉になるかもしれない」。男の子と付き添いの大人を対象に「村の伝統行事に参加の旅」が、急遽(きゅうきょ)募集された。応じたのは、これまでも田植えや雪遊びでしばしば栄村を訪れたことのある、東京の東大駒場地区保育所の卒園生たちだ。

 小学2,3年の6人と保護者4人。子供たちは、「若衆宿」の伝統にのっとり、親と離れて集落に「民泊」。地元の中学生の指導で、早朝から「おんべ」を振るって大声を張り上げ、道陸神で撒(ま)かれる縁起物のミカンやお菓子を懸命に拾い集めた。民家のこたつを囲んで、干し芋や山菜の煮物、干し柿、おはぎなど、手作りのお茶請けをつつき、スキー場では思う存分雪遊び……一行は冬の栄村を満喫して帰って行った。

 各地に散っている村出身者の子弟も参加して、今年の「おんべ」はそれなりのにぎやかさが戻った。農事の歳時記と実際の暮らしのずれから、土地の人にとっても意味が薄れつつあった地域の伝統行事が、外部とのつながりを通して見直された、と言えるかもしれない。2月の「むらたび」には、東京の旅行社が募集した団体もやってくる。雪が解けたら、村を流れる千曲川でラフティングを始める企画も進行している。伝統の暮らし、自然を生かした「むらたび」が、やがては地域の過疎化にブレーキをかけることを、松尾さんは願っている。 

 「むらたび」への参加申し込みや問い合わせは「栄村ネットワーク」(電話 080-20 2 9 -0 2 3 6、FAX0 2 6 9 -87-2131、〒389-2702 長野県下水内郡栄村大字北信3950-5)へ。 

                             (グリーンパワー2011年3月号から転載)

サイクル旅日記
ふれあい、自転車の旅
にほんの里100選をめぐった記録
崔宗宝、バリトンの旅
にほんの里100選をめぐる
オペラ歌手 里の歌旅