石部(いしぶ)静岡県

トラストで棚田を維持

富士山を望む半農半漁の里。海に面して石組みの棚田が広がる。棚田トラストで耕作放棄地がよみがえった。海ではイセエビ漁も。

  • 交通:東名沼津ICから車で120分/伊豆急下田駅から松崎までバス50分あるいは伊豆急蓮台寺駅から松崎まで特急バスで33分、松崎から石部まで車で10分
  • 特産:棚田米、イセエビ
  • 食事:加増野ポーレポーレ(そば打体験有)0558-28-0002
  • 直売:桜田よりみち売店 0558-43-1900/道の駅 花の三聖苑伊豆松崎 0558-42-3420
  • 宿問い合わせ:松崎町観光協会 0558-42-0745
  • 関連ウェブサイト:松崎町観光協会

※ 交通アクセスや店舗情報などは、お出かけ前にご確認ください。

※ 車ナビは、里を訪れる際の目標ポイントを数値化したマップコードで、()内が施設名や地点です。地図では★で示しました。カーナビのマップコード検索で利用できます。

2013年05月22日

ルポ にほんの里100選29 藤原勇彦 グリーンパワー2013年5月号から

 

先人の思いを受け継ぎ棚田を復元 / 都市住民の力を借りて地域おこし

  

 十数年前、そこはカヤが生い茂り、荒れ果てた休耕地だった。それが今、日本の原風景ともいうべき棚田の景観を取り戻し、春を迎えて作付けのためのしろかきや畔(あぜ)塗りが始まろうとしている。静岡県松崎町石部(いしぶ)赤根田地区。駿河湾に面し富士山や南アルプスを望み、背後を天城山系の山々に取り囲まれた、半農半漁の集落。海から1㌔㍍ほど内陸に入った標高120㍍から230㍍の斜面に広がる棚田は、高齢化と過疎化に抗して、先人の思いを受け継ぎたいという地元の人々の意思の結晶だ。 

  

一時は90㌫が休耕田 

   

 

まだ水の入っていない石部の棚田と水車小屋

石部の棚田は江戸時代につくられた。古文書によると文政時代に土石流が襲って荒れ地となったが、地区の人々が石を掘り出し、石垣に組んで棚田を回復したという。女性が田畑を耕し、男性が炭焼きと漁で生計を立て、昭和30年代には約18㌶で、おいしい1等米を生産していた。当時の集落は、130戸650人。様子が変わったのは、昭和40年代(1965〜74)。農業政策が食糧増産から減反へと切り替わる一方で、陸の孤島だった岩地、石部、雲見へ松崎から道路が通じ、観光客や海水浴客が訪れるようになった。その数、最盛期には約70万人。石部でも、民宿が46軒営まれた。半面、車の入れる道がなく、農具も収穫も、背に担いで上げ下ろしする過酷な労働を必要とする棚田は、少しずつ放棄された。やがて西伊豆の観光ブームが一段落すると、後には高齢化と過疎化の進む集落と、約90㌫が休耕田となった棚田が残された。99年、集落は100戸弱300人、高齢化率43・6㌫だった。  

 

棚田の畦の曲線美。小型の耕運機以外、ほとんど農業機械を使えない

 「このままでは地域は沈んでいくばかりだ」という危機感が、住民の間に生じた頃、県と町から、農水省の「ふるさと水と土ふれあい事業」の予算を使って棚田を復元しないか、との声が掛かった。労力もなく採算の見込みも立たないとして反対の声もあったが、当時の区長、高橋周蔵さんを中心に、地元では何度も話し合いを繰り返し、「エコツーリズムを軸に、都市とのふれあい交流の場をつくり出そう」と、棚田復元の事業推進案がまとめられた。 

 地元住民を役員に「松崎町石部地区棚田保全推進委員会」が発足、地権者22人から土地の無償提供を受け、管理を請け負った。地権者は「棚田を荒らしてしまって、先祖に申し訳ない。地区で管理してもらえるなら」との思いだったという。復田作業は2000年の正月から始まった。地元民を中心に、静岡県の都市部に根拠を持つ「しずおか棚田くらぶ」も参加し、3カ月にわたって休耕田のカヤを刈っては燃やした。カヤを刈った後の田起こしは、一鍬ずつ人力で掘り返す重労働だった。この時、「先人の棚田へかける思いを痛感した」と高橋さんは言う。 

 「『ばん』が15㌢以上もあった」。田んぼの土の下で保水の役目をする粘土層の耕盤が、思いの外分厚く、放置された間に生えた灌木(かんぼく)の根も、耕盤を突き破ってはいなかった。 

 

棚田は石垣で支えられている。昔は車の通れぬ石畳の道を、資材を担いで行き来した

文政の土石流の後、地元では20年の年貢免除を申し出、その間、棚田のつくり直しに専念したと伝えられる。「先祖たちは、自分たちの代のことは、ほとんど捨てて、後世のために粘土を厚くした」。再び水を湛(たた)えた棚田は心配された水漏れもなく、たちまちアオガエルや、カワニナなどの巻き貝が戻り、ホタル、トンボが乱舞した。 

  

オーナーのリピーター率7割超 

  

 02年からは、耕作の実行部隊、「松崎町石部赤根田村棚田保存会『百笑の里』」が組織され、棚田オーナー制度が始まった。地域外のオーナーは、一口「約100平方㍍に3万5千円」の出資で、収穫した米20㌔を受け取り、田植えと稲刈りへの参加義務がある。一口1万円で米5㌔を受け取る、トラスト制度もある。現在、オーナー約100口の募集は順調で、リピーター率も70㌫を超えるという。  

 オーナー制度以外の形でも、支援の輪は広がっている。静岡県は「一社一村しずおか運動」の一環として、連携する企業を紹介し、棚田産の赤米・黒米から地元酒造会社が焼酎を製造・販売するようになった。新商品の黒米うどんも好評という。近隣の常葉大学(旧富士常葉大学)からは年に数回、学生が集団で労力奉仕にやって来る。 

 都市部の資金と労力を借り、日常の保全作業を地元が行う新しい棚田づくりは1・7㌶に作付けし、4・2㌶の景観を保つ管理を可能にした。作業に出る地元民には日額8000円の労務費が支払われる他、二次加工品の売り上げや、棚田を訪れる年間約700人の宿泊代などの収入を可能にし、地元経済に貢献している。水源涵養(かんよう)や土砂災害防止の役割、地元の習俗文化の継承など、棚田の果たす役割も、多岐に及んでいる。 

  

農法受け継ぐ若手を迎えたい 

  

棚田にある交流棟で、地区に伝わる伝統農法の説明板を手にする高橋さん

 「半端な決意ではできなかった。棚田学会の人々やボランティア、町などの行政、背中を押してくれる人々がたくさんいたからやってこられた」と高橋さんは言う。今の課題は、後継者づくり。女衆が引き継いできた畔塗り技術など、棚田の伝統的農法を受け継ぐ若い人を、地域に迎えたい。そのためには、居住空間と収入の確保が課題だという。 

 安倍首相は3月、環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加を正式表明した。その際の試算では、TPP に参加した場合、農林水産業の生産減少額は3・0兆円と予測。米、砂糖など試算対象33品目の生産合計額は7・1兆円で、4割以上の国内生産が減少することになる。このような大変化に際し、米を作るだけでない棚田の持つ意味は、どのように位置付けられるのだろうか。 

(グリーンパワー2013年5月号から転載)

2012年06月13日

写真を差し替えました

石部(松崎町)の写真を町役場提供写真と差し替えました。(森林文化協会)


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