谷間の急斜面覆う茶畑の山里 / 放射能禍にめげず明日へつなぐ
訪れたのは4月の下旬。ヤマザクラ、エドヒガン、チョウジザクラ……さまざまな桜が満開だった。それどころか、コブシ、スイセン、ツツジ、ヤマブキ……あらゆる種類の花が一斉に咲き誇り、緑の谷間を彩っていた。
「例年は少しずつ時期を移して咲いてゆくのですが、今年は季節が遅れて、みんな一緒になってしまいました」。藤野地区自治会連合会会長の小林満さんは、厳しい寒さが過ぎて、ほっとした様子だった。神奈川県の最北部、相模原市緑区(旧藤野町)佐野川地区は、東京都心部からでも車で1時間程度の近さ。それでいて、急斜面に茶畑が縞模様を描く山里の別世界だ。県立陣馬自然公園センターもあり、近くの陣馬山を目指すハイカーや、最近ではサイクリングでやってくる人も増えたという。
ボランティアが茶畑の手入れ
「ここもご多分に漏れず、高齢化で存続が危ぶまれているんですよ」。小林さんが、そういう茶畑は、見たところきれいに手入れされて、まもなくやってくる一番茶の茶摘みを待っているように見える。佐野川地区はもともと養蚕が盛んで、集落には当時の面影を残す2階に蚕室をもった古民家や土蔵も多い。しかし、昭和40年代の前半に「蚕がダメ、乳牛がダメ、薪炭がエネルギー革命でダメになって」、地域の現金収入を賄うために茶畑が作られた。もともと平地が少なく、山の斜面を切り開いて石垣を積み、小麦や豆類を作っていたが、気候・環境が、お茶に適していたという。年に1000㌔グラム近くを出荷する農家が今も10数軒はあり、県内の銘柄、足柄茶として出荷される。
「草取り、施肥、整枝」、これが茶作り農家の作業の基本だという。ことに茶の木の高さや形を整える整枝は、機械摘みをするための前提で、年に2回以上、欠かせない作業だ。茶摘みの期間は、製茶工場の稼働期間に合わせて限定され、おおむね1週間から10日の集中作業。5月の連休後くらいからの一番茶の摘み取りは、応援の人を頼んでも、農家はてんてこ舞いの重労働だという。
高齢化が進むとともに、放棄される茶畑が出てきたが、「にほんの里100選に選ばれたことでもあり、茶畑の景観を保っていこうと、地域の内外からボランティアを募って、手入れをしている」という。佐野川地区の最北端に位置する和田集落では、20人近くのメンバーが「和田の里みちくさの会」をつくり、茶畑の手入れとともに、茶摘み体験ツアーなどの地域紹介活動にあたっている。東京方面から大学生のボランティアもやってくるようになり、ここ1、2年は、茶畑の景観が少しずつ回復していた。
出荷制限で荒茶を廃棄
そこへやってきたのが、福島原発事故による放射性物質の影響だった。昨年6月、市内の茶畑の荒茶(茶葉を蒸して揉んで乾燥させた1次加工品)から、当時の暫定基準値500ベクレル/㌔グラムを超える放射性セシウムが検出された。その時すでに県内各地のお茶産地で荒茶から放射性物質が検出されていたが、相模原市も同じく出荷制限を国から指示されることになった。
「荒茶を全部廃棄しましたよ」。小林さんは、無念そうに語る。生茶は暫定基準値を超えていなかったため、摘んで荒茶に加工するまで作業が進んでいた。「労力をかけて大事に育てた葉っぱですから、情けなかった」。出荷制限は、10月末に、「秋冬番茶」以降の茶の出荷制限が解除されたが、それ以前の昨年産のお茶は出荷制限が解除されなかった。
「正直なところ、今年の新茶がどうなるか、見通しがまったく分からない」。地元農家は、依然として不安を抱えている。相模原市では「県が主導して相模原市内の3地点を選び、今年の一番茶の出荷が予想される5月中旬に、食品衛生法の食品中の放射性物質の新しい基準に伴い、飲用状態で検査する」とのこと。新しい茶の基準は、飲む状態で飲料水と同じ10ベクレル/㌔グラム。これを下回らなければ、出荷しないという。二番茶は、飲用状態の検査のほか、粉茶など食品としての利用もありうるので、荒茶で500ベクレル/㌔グラムの基準に沿った検査もするという。
「そんなこんなで、もう茶づくりをやめたいという農家もあるにはあるけれど、自分たちはグループで茶畑を支えて、景観はもちろん、生業として成り立つ茶づくりをめざす」と小林さんは語る。
好評古民家ツアーに80人
「ふじの里山くらぶ」は、佐野川地区を含む旧藤野町全域で、町興しのために活動するNPOだ。9人の理事がおり、「和田の里みちくさの会」はじめ、農家の団体、山岳会、旅館業、自然保護団体や芸術団体、学校法人まで会員として登録する大所帯。「この地域にある忘れられかけた文化の維持継承をしたい」という永井基朗理事長があげた藤野の里山文化のイメージは、地粉を使ったまんじゅう、うどん、煮団子、汁粉、甘酒、赤飯、野菜の煮物などの地元の食、神社にお参りがてらご近所に手料理を配るような地域の習慣、神社の舞台にかかる村芝居や流しの芝居一座……。
いま、力を入れているのが「古民家ツアー」だ。佐野川地区をはじめ、旧藤野町一帯に数多く残る古民家を、横浜国立大学工学部建築学コースと共同で調査。それぞれの家の由来、建築年代、図面や構造の特徴を明らかにし、年1回、「くらぶ」が古民家の持ち主と交渉して、屋内を開放し、参加者に説明する。毎回50〜80人のファンが訪れ、もう8回を数える。
さらなる企画として準備中なのは、戦時中、藤野町に疎開していた藤田嗣治や猪熊弦一郎、脇田和、荻須高徳らの芸術家の面影を訪ねる「芸術ウオーク」。「要は身近にあって気付かなかった価値あるものを生かして伝承してゆきたいのです」
「ふじの里山くらぶ」や「和田の里みちくさの会」では、このほかにも「貸し農園」や「農業クラブ」事業を実施している。都会の会員が、地元農業者と一緒に畑で農作業に汗を流し、収穫した野菜を料理する。都心から目と鼻の先といってもよい「里」に、まだまだ眠っている農の宝、その発掘が楽しみだ。
(グリーンパワー2012年6月号から転載)