時代を超えて続くミカン栽培と林業 / 木の成熟を待ちながらの穏やかな暮らし
訪れた2月末、里にはロウバイが咲き、木に残った果実を、鳥たちが突ついていた。周囲を取り巻く山々は、芽吹きを待つ広葉樹林が光を浴びて輝き、緑の針葉樹林とモザイク状を成している。
山の上ほど多いミカン園
埼玉県の北西部、大里郡寄居(よりい)町風布。通常は「ふうぷ」と発音するが、土地のお年寄りには「ふっぷ」と言う人もいる。400年前、小田原の北条氏が関東に進出した際に伝えられたとされる「北限のミカン」栽培が、林業と並んでこの地の主な生業だ。標高300〜400㍍。低山の南向きの斜面が多く、1年を通して温暖な気候で、花が絶えることがない住みやすそうな土地だ。
山々の頂に近い南向き斜面に、ひときわ緑の濃い林が広がっている。それがミカン園だ。25軒の生産者が、それぞれ2〜3㌶の広さで経営している。風布のミカンは、山の高い所で栽培されているのが特徴。盆地性の気候により、高度が上がるほど下がるはずの気温が逆に上がってゆく、「逆転層」現象がしばしば発生する。暖地を好むミカンには山の上の方が適すると、地元では伝えられている。現に、山を登るほどミカンの木は増える。甘く、香りが強く、昔懐かしい濃い味がする。10月から12月にかけてミカン狩りで訪れた人に供される「知る人ぞ知る」味だ。
そのミカンが、昨秋は不作だった。夏場に気温が高過ぎたのと、生育期に雨が少なく水分が不足したせいではないかと地元の生産者は言う。果実が大きくならず、そのまま黒ずんでしまうものがあった。「集荷して箱詰めにする作業は、年寄りが多く人手が足りないため、ほとんど行われていない。ミカン狩りに来てくれる人が少ないと困るんですよ」。今年は、できればスプリンクラーを付けて、水不足に備えたいという。
関東大震災やバブル期を経て
「今、集落が何軒かって聞かれると、情けなくなる。私が若かった頃は、村に分教場があって70人近い子どもがいた。家も70戸近くあった。昭和の末のバブルがはじけた後、農家がやってゆけなくなり、よそへ出るようになった。その頃から20戸以上減って現在46戸」。残念がるのは、地元の風布館の館長で県森林組合連合会会長の坂本全平さん。今年84歳になる。
風布館は、竹下内閣時代の「ふるさと創生」資金を受けて、寄居町が約20年前に造ったレストハウスで、地元に管理を委託している。周辺には風布川や名水百選に選ばれた湧水「日本水(やまとみず)」があり、「水の里」が、もう一つの看板。冬場は土日だけの営業だが、おいしい手打ちそばが食べられる風布館は、親水公園、水車小屋などと共に地域のシンボルゾーンになっている。
「集落の人口は100人くらい。平均年齢は60ではきかない。ただ、戦前派は年寄りでも元気だ」。坂本さんは続ける。「この辺がスギやヒノキの林業に夢中になったのは、関東大震災の後。明治から植林していた材を、復興需要で切り出した。その後、また植林をして、バブル期の頃、ちょうど50〜60年たった切り頃の木があった。材木屋が盆暮れに手土産を持ってやってきて、切らせてくれと山主を口説いていたものだった。その頃の木材の価格は1立方㍍当たり3万円ぐらい。そこそこに山が潤った」
昭和30年代の木材自由化の後、「20年ほど前までは、都会に近いこともあって、ぎりぎり材価は保たれていた。今は1立方㍍当たり1万円から1万2000 円ぐらい。切り出しの手間賃にもならない。それと、成熟した木が少なくなって、林業が駄目になった」。集落での暮らしは「野菜を作ればイノシシが邪魔をする。子どもに人並みの教育を受けさせようとすると、ここでは大変。交通が便利になって、かえって出てゆく人が増えた」。
「後々に向けて植林もしてある」
国からは森に作業道を設けたり機械化したりするための補助金が出るが、そもそも木がまだ若い。間伐材は1立方㍍当たり2500円から3500円で、補助金が出れば、多少は山主に還元できる程度。それでも、坂本さんが代表理事を務める地元の県中央部森林組合では、管理を委託されている森林を年間約300㌶以上間伐し、「森は少しずつきれいになっている」という。近隣の長瀞町に設置された木材チップ工場には、1日20㌧以上の原料木が運び込まれる。「60年から80年物のスギやヒノキが育ち、需要に応じられるようになれば、林業にも希望が持てるのではないか。後々に向けて植林もしてある」
集落の人口は減ったが「ミカンは鳥が突つきにくるし、イノシシも出る。そんな連中も含めて、この里で穏やかに暮らせれば、それでいいという気もしてくる」。林業が、社会の変動に抗し、はるかな時の流れと共にある生業であることが、しみじみと伝わってくる。
風布と隣接した金尾地区に、ひときわ手入れの行き届いた森がある。1959(昭和34)年に第10回全国植樹祭が行われた県有林の会場だ。昭和天皇・皇后両陛下のお手植え木を中心にしたスギ、ヒノキ、ヤマツツジの森が「記念植樹地つつじ山」として保全されている。今、重機が入って、道づくりや整備作業が進められている。この秋、ここで第37回全国育樹祭が開かれ、昭和天皇の孫に当たる現・皇太子殿下が、世代を超えた森づくりの象徴として、お手植え木に施肥される予定だ。
(グリーンパワー2013年4月号から転載)