円山川流域(まるやまがわりゅういき)兵庫県

コウノトリの餌場保全

行政・市民団体・住民がコウノトリの餌場となる湿地や耕作放棄田の修復・保全に取り組む。コリヤナギが材料の杞柳(きりゅう)細工も続く。

  • 交通:山陰本線豊岡駅から車で5分/中国道または山陽道から播但連絡道路経由和田山ICから車で60分
  • 特産:
  • 食事:すのたにや 0796-48-0719(要予約)/茶屋あそび石 0772-84-0647
  • 直売:コウノトリの郷朝市友の会 0796-22-6895/但馬漁協直営フィッシャーマンズビレッジ 0796-28-3148
  • 関連ウェブサイト:豊岡観光協会

※ 交通アクセスや店舗情報などは、お出かけ前にご確認ください。

※ 車ナビは、里を訪れる際の目標ポイントを数値化したマップコードで、()内が施設名や地点です。地図では★で示しました。カーナビのマップコード検索で利用できます。

58. 円山川流域

2014年05月23日

コウノトリの豊岡市 増やそう「育む農法」

「コウノトリ育む農法」で栽培した「コウノトリ育むお米」(但馬産コシヒカリ)を紹介する小冊子

  「国際生物多様性の日」に当たる5月22日、東京の農林水産省農林水産政策研究所で「豊岡市におけるコウノトリ育むお米生産の現状と課題」と題したセミナーが開かれました。その中で、豊岡市コウノトリ共生部農林水産課の瀬崎晃久係長が、安全・安心なお米の生産とたくさんの生きものの存在を両立させる「コウノトリ育む農法」の現状を報告されました。

 

  2005年に始まったコウノトリの野生復帰においては、餌となる魚やカエル、昆虫類が豊富な田園環境が不可欠で、それを実現するカギが、水田での冬期湛水(ふゆみずたんぼ)、田植え後の深水栽培、中干しの延期などの水管理を組み合わせ、さらに農薬の使用を減らす「育む農法」とされてきました。「育む農法」の実施面積は05年に41.7haでしたが、13年には269.7haと6倍以上に増えています。たいへん順調のように思えますが、豊岡市全体の水田面積が3000ha余りあることを考えると、これはまだ1割にも満たない数字にとどまっているのです。これは会場で聞いていて、ちょっと驚いた数字でした。

 

  「育む農法」をやりたい農家の人たちは市内にもっとたくさんいるのですが、実際にはできない理由(阻害要因)があるようです。瀬崎さんは、1)冬期に水が使えない=水利権がない、2)作業に手間がかかる、3)除草がたいへん、という3点を挙げていました。豊岡市では、河川を管理する国土交通省との交渉による水利権の変更、民間企業と協力したポットによる健苗の生産、手間に見合った買取価格や収量の向上策の実施、などに取り組んでいく方針です。「育む農法」の広がりで、コウノトリのくらす環境がより豊かになっていくことを期待しています。                   (森林文化協会)

2013年12月06日

ルポ にほんの里100選36 藤原勇彦 グリーンパワー2013年12月号から

農と環境の自然回復を土台に / コウノトリの野生復帰を実現

 

 目の前の空を、国の特別天然記念物・コウノトリが飛んでいる。白い胴体に黒い風切羽(かざきりばね)。目の周りと脚が赤く、羽を広げると2㍍近いという堂々たる体軀(たいく)。刈り入れの終わった田んぼに降りて、餌を捕るもの。高さ12㍍近い人工巣塔の上に止まり、周囲を警戒するもの。1971年に、国内生まれの野生のコウノトリがいなくなってから40年余。再び野に戻ったコウノトリは、驚くほど人里近くに暮らしていた。
 

野外に75羽が生きる


 

コウノトリの郷公園の公開ケージに群れるコウノトリ

 兵庫県豊岡市の中心部から、車で10分程度。緩やかな里山に囲まれ、円山川(まるやまがわ)やその支流の穏やかな川が流れる祥雲寺地区に、県立コウノトリの郷公園(郷公園)がある。85年、コウノトリ飼育場(現・郷公園附属コウノトリ保護増殖センター)が、ロシア(旧ソ連)から6羽を譲渡され、コウノトリの野生復帰計画を推進してきた。89年に初めて繁殖に成功。その後飼育個体は100羽を超えるようになり、2003年に策定した「コウノトリ野生復帰推進計画」に基づき、05年から試験放鳥を始めた。放鳥を続ける中で、07年、国内で46年ぶりに野外で繁殖。今では、野外を75羽が飛び回り、保護増殖センターで98 羽が飼育されている。
 
 野外に出たコウノトリは、豊岡市周辺だけでなく、遠く鹿児島県南さつま市、宮崎県延岡市、広島県庄原市、高知県高知市、神戸市、愛知県額田郡など、各地から目撃情報が寄せられている。野外の個体数を増加させる巣立ちが、年平均5・4羽。一方、死亡数は年平均2・0羽なので、野外の個体数は徐々に増えている。野生復帰の第1段階は、峠を越したともいえる。
 
 10月中旬には、年に1度の特別公開デーがあり、普段は近づけない繁殖ケージのある「コウノトリ野生化ゾーン」などを見学できた。飼育員が園内を案内する「特別観察ガイドウォーク」には、老若男女20人弱が参加。コウノトリが、鳴き声の代わりにくちばしを鳴らす「クラッタリング」の音や、ドジョウやカエルなど肉食性の餌を1日に「体重の1割も食べる」といった説明に驚いていた。

 

人との共生が不可欠

郷公園の非公開ゾーンに向かう「特別観察ガイドウォーク」の参加者たち


 コウノトリ野生復帰の直接の目的は、この国の本来の生物の在り方を取り戻すこと、特に近年まで生息していた地域の生態系の健全性を取り戻すことだ。世界的には人の住まない広大な地域で鳥類の野生復帰が行われたことはあるが、コウノトリの場合、水田などを主な餌場にするため、人との共生が不可欠。そのため、県が11年に作成した「コウノトリ野生復帰グランドデザイン」にも、「野生復帰が単に自然科学の課題にとどまらず、地域住民の意識改革・価値観の転換が求められ、さらには経済効果を伴う河川・水田・里山の効果的な土木事業や新たな起業が必要」とされている。地域の人々に、精神的にだけでなく経済的にも共生を受け入れてもらうことなしに、野生復帰は成り立たないことを意味している。
 
 祥雲寺地区に郷公園設置の話が起きたのは、1992年。コウノトリの郷営農組合長の稲葉哲郎さんは、「当時の農法ではとても受け入れはできなかった」という。野生コウノトリの絶滅には、農薬の影響があったといわれているが、当時の農法はまだ除草剤を一斉散布するような状態だった。「決していいことではないと自分たち自身思っていた」という集落の23戸は、約2年間話し合いを続け、拠点施設の受け入れを決断した。「コウノトリとともに暮らせる環境を創ることは、そこに住む人間が素晴らしい自然環境を取り戻すことになる。結果として生産された農産物は人間の生命を守る食の安全・安心につながる」。それから、コウノトリと共生するために農地の整備や減農薬で行う米作りの研究が始まった。有志により「コウノトリのすむ郷づくり研究会」「郷づくり報告書」の活動が進み、99年に郷公園がオープン、2002年には集落全戸加入で「コウノトリの郷営農組合」が設立された。
 
 専門家を交えた農法の改善で、03年には無農薬・無化学肥料栽培に挑戦。秋の稲刈りの時、コンバインの前を跳びかうカエルの多さに、びっくりしたという。04年には水田の冬季湛水(たんすい)を始めた。米ぬかを散布し耕運して水を張る。春に水を落とした時、土とは感触の違う微生物による「トロトロ層」ができているのに驚かされた。苦労してきた除草にも、農薬の使用を控えて雑草を抑える技術のめどがついた。

人家に近い人工巣塔に止まるコウノトリ

 

環境保全と稲作が両立


 今では地域の農法は「コウノトリ育む農法」として早期湛水、米ぬかペレット散布、深水管理、中干し延期などを柱に規格化され、豊岡から但馬一帯に広がりつつある。そこで生産された米は、「コウノトリ育むお米」として、JAたじまも協力し経費に見合った値段で取引され、各地からの需要が供給を上回る状態が続いている。「コウノトリや生き物が1年中生息できる環境の保全と米づくりが両立するようになった。穏やかな気持ちで暮らしてゆける環境ができた」と稲葉さんは振り返る。まだ改善の余地があるとはいえ、自然環境の回復と経済が両立する1例が、ここに実現した。

 

◇   ◇

 

 朝日新聞社と森林文化協会が「にほんの里100選」を選定してから約5年。高齢化と過疎化の荒波は、相変わらず地域を洗っている。高齢化率50㌫前後が当たり前の状況は、国を挙げて地域から都市へ人を集める方向に進んできた結果だ。その仕上げのように環太平洋経済連携協定(TPP)交渉で、農産物の関税がまな板に載せられている。規模の拡大が叫ばれ、減反廃止の声も上がる農業政策の変化は、さらなる里の変化を強いるだろう。各地で、地域を生き延びさせるため、さまざまな人々が、あらゆる努力をしている。時代の変化を乗り越えられるかどうか。希望も絶望も、その努力の行方にかかっている。(最終回)

 

(グリーンパワー2013年12月号から転載)

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