夕日の景観が美しい棚田集落 / 行政も関わる「婚活」で定住者増を期待
祇園祭(ぎおんまつり)のお囃子(はやし)の鉦(かね)が響く京都市の中心部を後に北西へ向かい、嵯峨野・天竜寺界隈(かいわい)の竹林を抜けて化野(あだしの)・念仏寺を過ぎると、道は火難除(よ)けの信仰で知られる愛宕山のふもとへさしかかった。車の擦れ違いも難しい細道がスギ林の中を延々と続く。柚子(ゆず)の里・水尾の集落を抜け、さらに奥深い山中をたどると、やがて道は下りにかかり、ようやく棚田の里「越畑(こしはた)・樒原(しきみがはら)」に到着した。車でおよそ50分。距離だけなら20分程度で出られる亀岡市の方が近いが、ここの正式な地名表記は、京都市右京区の嵯峨越畑と嵯峨樒原。れっきとした京都市内なのだ。両地区を合わせて「宕陰(とういん)」という呼び名もあり、京都市右京区役所宕陰出張所が置かれている。
緑の海に浮かぶ棚田
茅葺き屋根が際立つ「ふるさと」の景観
出張所の壁に空から見た越畑・樒原地区の棚田の写真が掲示されている。森の海に、棚田と集落がぽっかりと浮かんでいるようだ。この写真をパラグライダーから撮影した京都の日向(ひなた)工房代表・柳田昭彦さんは、「10年程撮り続けています。農道が立派になったり、養護老人ホームができたりしたが、棚田自体はほとんど変わりがない。重機のない時代にこれだけのものを作った先人の努力は、すごいことだと思う」と話す。棚田はおよそ800枚あり、樒原のものは見た目が鎧(よろい)に似ているので、「鎧田」とも呼ばれている。愛宕山の西向き斜面にあるため、夕日の景観がことに美しい。
「村の人々の力でひかれた水路のおかげで豊富できれいな水に恵まれ、澄んだ空気のもと、美味しいコメと野菜がとれ、そして早春から秋にかけてはさまざまな花があふれます」。越畑・樒原が「にほんの里100選」に選ばれるきっかけとなった、越畑に住む篠原ともみさんの5年前の投稿の一節だ。「早春の山菜、梅雨の梅干しづくり、キュウリの漬物、干し柿、柚べしや柚子ジャム、味噌つくり、自分たちの畑から採れる作物で年中食べてゆく、昔ながらの人々の知恵」は、今も変わらない。
棚田にオミナエシの黄色が映える
小学校の維持が務め
集落の歴史は古く平安時代から始まり、愛宕山への登山道、愛宕神社への参詣道入り口として宿坊などが並んだ時代もあった。丹波から都へ向かう街道が通り、人々や鮎(あゆ)などの物資が行き来した。都と密接な関わりを持ちながら、山里の暮らしが営まれてきたという。
集落の人口は、3年前にできた老人ホームを除いて計算すると、75軒140人程度。世帯数、人口とも減少傾向にある。「学校の統合ならよくある話ですが、ここでの務めは、全校生徒13人の小・中学校をいかにして維持するかを考えることなのです」と語るのは、赴任して3年目の宕陰出張所長・村山仁志さん。棚田を維持し、人口を増やすことを地域に密着した出張所の使命と感じている。
京都市では全11区の中でも地域活性化の取り組みとして、宕陰地区に力を入れている。3億2000万円をかけて農業排水路の整備を行い、地元住民と協働で「宕陰活性化実行委員会」を立ち上げた。ワークショップを何度も行い、住民の視線から地域の魅力を見定めて課題を整備、それをベースに「地域活性化アクションプラン」を策定した。住民からは集落の将来像として、小学校を存続させる、空き家をなくしたい、若い世代が増えてほしい、ここで生計が立てられるように、などが挙げられており、そのために、新たな定住者の確保、農林業の活性化、美しい風景や環境の維持を3本柱として取り組むという。
緑の海にぽっかり浮かぶ越畑・樒原の棚田と集落。高度約1800㍍から撮影=日向工房・柳田昭彦さん提供
地域の農業は稲作のほか、切り花のオミナエシ、ホオズキ、野菜ではキクナ、ナス、カボチャ、フシミトウガラシ、シシガタニトウガラシ、ソバなどだが、ほとんどが兼業農家。田畑はシカなどの獣害があり、以前にマツタケが採れた周囲の山々は、松食い虫の被害が激しく農林業には厳しい環境。しかし、地元の人が立ち上げ、地域の産品を食べたり農業体験のできる「越畑フレンドパーク まつばら」は、おいしい手打ちそばが好評で、遠方からも客が来る。
伝統行事「虫送り」のころに棚田を竹灯籠で彩る「宕陰星空ロマンチックファンタジー」や、栽培されているジャンボカボチャを使った「宕陰ハロウィン祭」など、人を呼び込む行事を毎年地域ぐるみで続けている。昨年は初めて、ロマンチックファンタジーと「婚活」を結び付け、10組以上のカップルを誕生させた。そこから、集落に移住する人が出てくるのを期待してのことで、村山さんは「行政も関わった婚活は珍しいでしょう」と笑顔を見せる。
空き家を地域の拠点に
宕陰自治連合会の会長で委員会のメンバーでもある平井義昭さんは、「投稿した篠原さんは、水墨画家のご主人と一緒に10年ほど前に移住され陶芸をやっておられます。この場所を気に入って、移住してくれる人も少しずつ出てきました。脱サラで農業をやっている方は、休耕地の耕作を引き受けたり、地域の行事に積極的に参加したりして、なじんでいます」と言う。
今後は「短期滞在から始めて、住み続けたいという方が出てきたら、土地や空き家の紹介もしていきたい」とのことで、年内には、活性化実行委員会が空き家を改造、地域の拠点として情報発信やネットショップを開く一方、短期宿泊体験施設として開放する予定だ。行政と地元が一体となった試みが、これから本格化する。集落に残る美しい茅葺(かやぶき)屋根や、開き始めたオミナエシの黄色の花に、「本当に、住むにはいい所ですよ」と言う平井さんの妻、文子さんの言葉が、実感できた。
(グリーンパワー2013年9月号から転載)