「蕎麦オーナー制度」を支えに / 山麓の「ちぃじがき」の暮らしを守る
群馬県甘楽町(かんらまち)の中心部から、さらに南西に10㌔㍍ほど山間に分け入った、埼玉県境に近い南向きの急斜面。地元で「ちぃじがき」と呼ばれる小さな自然石を組み合わせた石垣で囲まれた段畑に、8月18日、老若男女200人近くが集まった。「ちぃじがき蕎麦(そば)の里」として知られる甘楽町「秋畑那須(あきはたなす)」地区で、18年目を迎えた「蕎麦オーナー制度」の参加者と地元の手伝いの人々だ。東京や近県からやって来た人の手で、11月の収穫を目指し、約50㌃の畑にソバの種がまかれた。
石を代々営々と積み上げ
秋畑那須の集落は、現在94世帯240人。地元の信仰の山・稲含(いなふくみ)山( 標高1370㍍)の山麓、標高450㍍から700㍍の範囲に広がっている。那須与一(なすのよいち)にまつわる伝説が数々残る古くからの集落で、県の重要無形民俗文化財の「那須の獅子舞」や稲含神社に奉納する神楽が伝わっている。「ちぃじがき」は、秩父古生層とされる地層から掘り出された自然石を代々営々と積み上げて造られ、畑だけでなく家々の土台も支えており、独特の美しい山村景観を成している。地区の区長、中野惣一さんは「とにかく平らな所がないので、石を積んで土地を造った。昔の平積みの石垣の技術は素晴らしく、最近はなかなかそこまで積める人がいなくなった」と嘆くが、修理や修復は、今でも自分たちでこなしているという。「ちぃじがき」で細かく区分けされた段畑では、伝統的にさまざまな作物が育てられてきた。畑の周りに和紙作りのためのコウゾを生やし、真ん中にはコンニャクイモを植えた。養蚕も盛んだった。最近では切り花用の菊、ナメコ・ヒラタケ・シイタケなどのキノコ類、乾燥芋用のサツマイモ、トウモロコシ、ジャガイモ……。
1947年生まれの中野さんは、子どもの頃の和紙作りの作業を記憶している。秋に原料のコウゾの木を切って大きな釜で蒸気を立てて蒸し、熱いうちに皮をむく。皮を水にさらし白い部分を叩(たた)いて柔らかくして、山で採ってくるつなぎの植物とともに水槽に入れ紙をすく。集落の大きな家に集まっての集団作業だった。
「在来種時代のコンニャクイモも高く売れた」という。在来種のコンニャクイモは、標高の高い寒暖の差が大きい土地でないと良いものが採れなかった。切って串に刺して乾燥させた状態のものを、仲買人が山に来て奪い合うように買っていった。「山の暮らしはなかなか豊かだった」という。それが、品種改良や中国からの輸入で、競合が激しくなった。同じような事情で養蚕も衰退した。交通の発達とともに子どもたちの世代は都市に出て行き、集落は少子高齢化、平成の初めの頃には「畑を荒らしてしまった」。
出発点は景観保全事業
ソバはもともと、どこの家でも自家用に作っていた。「盆を過ぎてからまいて採れる穀物はソバだけ」だったからで、普段はそばがきで食べることが多いが、お祝い事やもてなしにはそば切りを作った。「そばが打てないと嫁に行けない」といわれるほどの、地域の伝統文化だった。
95年に、県の「美しい農村景観保全活用地区」に選ばれたのをきっかけに、甘楽町も関わって住民全員参加の「美しい農村景観保全推進協議会」が結成され、休耕地を復活するために集落の伝統のソバによる地域おこしが企画された。都市の人々に、ソバ作りを体験してもらい、収穫した「自分のソバ」を味わってもらう「蕎麦オーナー制度」。具体的には、一口1万円で、休耕地を耕した約1㌃の畑を提供し、種まき・土寄せ・花祭り・収穫・そば打ちを地元民と一緒に行い、収穫したソバ2㌔㌘を提供する。当時としては新しいアイデアがメディアにも取り上げられ、初年度の96年に46口、以後年度を追って91口、76口、134口、118口と固定ファンがつき、休耕地を復活させて景観を保全する力にもなった。集落の入り口には、そばを食べ、そば打ちを体験できる「蕎麦打ち実習館 那須庵」がつくられ、集落の主婦15人による地元産100㌫の手打ちそばが、遠方からも客を集めるようになった。
ソバは、昔から山間部の救荒作物だったが、いまや、地域おこしのお助け作物になっている。山形県の曲川木の根坂でも京都府の越畑(こしはた)・樒原(しきみがはら)でも、土地のそばを食べさせる施設が、地域の収入の軸になっていた。そばの風味、打ち方、つゆなどが土地土地で違うため、それぞれがファンを抱えている。各地に農産物のオーナー制度が広まったこともあり、秋畑那須の「蕎麦オーナー制度」は今年度は53口にとどまった。しかし、そばの評判が広まった分、那須庵の利用者が増え、土日祝日だけの営業にもかかわらず、年間5000食、500万円以上の収入を上げている。地元のソバ作り名人、那須庵を支えるそば打ち名人たちに、相応の謝礼を支払える状態だ。
時代に合った作物を
「若い世代は、なかなか戻ってはこない。獅子舞は、受け継ぐ子どもたちがいなくて困っている。でも、山なのに冬場は霜が降りないくらい暖かい土地柄。昼夜の温度差があるので、サツマイモやジャガイモは味が良く、好評でよく売れる」と中野さん。在来のトウモロコシの粉で、かりんとうを作って成功している人もいる。時代に合わせて作物を作れば、山村は生き続けられる。「ここでの暮らしを守ることが、今住んでいる人間の義務だと思ってます」と中野さん、祥子さん夫婦は、こもごも熱を込めて語る。
(グリーンパワー2013年10月号から転載)